(4)そうこうする内に、日本で最初に電磁誘導式ゴルフカートを製造された旧 S社様(現H化成様)より今まで内製されていたカート用の障害物センサーを社外より調達したい旨のお話を設計課さんから頂きました。屋外で使用するので雨風の影響を受けないこと、カートの車幅(1,400mm)と人体検知距離5,000mmをクリアーすることが大前提とされました。カートが障害物にあたって壊れても問題ではなく、プレー中のゴルファーさんにあたって怪我をさすことが大問題であって、絶対避けねばならぬとのお達し。二次的な問題として、検知幅が広過ぎて植え込みを検知して低速運行となった場合も、ゴルフ場さんに迷惑(お客様の回転が悪くなる)をかけるので適度な動作幅が必要とのことでした。動作幅は狭すぎてもダメ、広すぎてもダメという、二律背反的な設計を要求されました。これらをクリアーできなければ将来の展望は拓けないと覚悟をして、果敢に挑戦するも梅雨時になると担当課長から電話が入り、"カクカク云々のゴルフ場さんにセンサーの取替にすぐにでも行って欲しい”とやんわりと言われてしまいます。福島から千葉、埼玉、静岡のゴルフ場へとジーゼルのサニーに取替え用のセンサーと工具一式を積んでツナギ姿で数時間から十時間かけて山間のゴルフ場へと出かける日々が2-3ヶ月間毎週続きました。原因が分からぬまま、また、お客さんに言われるがままに交換だけしに行く虚しさは大変なものでした。原因は横殴りの雨が筒の内部の土埃を巻き込んで共振子の表面にこびり付く事でした。空気は通すが雨ははじく(撥水)ポリエステルのフィルターを二段構えで前面に貼り付けたり、ひさしを取付けたりでその後、何とか収まりましたが、すでに全国のゴルフ場で稼働中のカートに対策を打つのは過酷な試練でした。
その後、現在に至るまで18年近く大きな問題もなく継続して使用していただいております。私ども弱小の自営開発製造会社がやっていけたのは厳しくも太っ腹(寛容さという意味です)のH社さんのお陰と心より有り難く感謝の日々であります。同時期にY社さんのゴルフカーにも搭載していただき、ゴルフカーについて(かってS社さんにも納入していた)は有難い事にほぼ弊社単独となっています。今まで、しかも事故もなくやれて来れたことにも不思議な力を感じるところであります。以上、20年近く前の今や時効となったエピソードでした。

どの自転車を見てもそうですがバランスをとって乗る乗り物だからでしょうが、デザインが非常に素晴らしく飽きることがありません。我々もインダストリアルコントロール(FA)の分野で、メジャーな役割を担うセンサーの製造に関わっているので、自ずとセンサーの形状だけに関わらず、制御の組み方・やり方についても無駄のなくシンプルでスマートな”美しい”コントロールに多大な関心があります。美しく無駄のないものは性能も優れています。多くの線を張り巡らす制御は故障し易く、メインテナンスも大変です。なるべく配線を少なくして(省配線)simpleにすればするほどシステムの安定性も向上します。
弊社でもこの方法を実現するために、既存の超音波センサーに小型で簡単な無線発信ユニットを装着して、受信側の小型基板で受けるという方式を採用します。複数のセンサーから発信出力を1個の受信基板で受けることも、逆に、1個のセンサーからの発信出力を複数の受信基板で受ける(警報であったり、カウントだったりのいわゆるスイッチング)ことも自由
自在にできます。ただ、ワイヤレスだけがメリットでは無く、各センサーから発信されるデジタル信号をパソコンで簡単に制御できるメリットも見過ごせません。無線が不要な場合は従来通りの有線方式でご使用ください。従来の有線によるセンシングでDC電源の供給と有線出力とは別に、常に無線で発信していますので、いわば、ひとつのセンサーで2出力取れるとも言えます。さらに、美しく進化させてゆきます。乞うご期待です!!

平成28年9月05日
7月10日の参議院選挙に30日の都知事選挙と二回続けてわざわざ福島から東京に帰り期日前投票を行いました。国内のあらゆる分野で暗躍する在日反日勢力を少しでも排除して、民進・共産・社民党売国議員を落とすためです。都知事選挙ではあの恥知らずの鳥越俊太郎に醜聞にもかかわらず130万人以上の都民が1票を投じたというファクトに愕然としてしまいました。ついでに言うと、かの参院選では民進党の蓮舫が東京選挙区で112万票を得てトップ当選、これもポピュリズムの行き着く絶望的な景色と言えます。いつもそうですが、時代を変えていくのは傍流のマイノリティの人々でしょうか。
8月05日から始まったリオ・オリンピックも女子マラソンの福士加代子さんはよく頑張って十四位で完走でした。彼女の場合はオリンピックへの出場権を得るだけで力を使い果たしてしまったと考えています。直前まで、選考を決定的にするために名古屋ウィメンズマラソンに出場するかどうかで悶着していました。実力の半分も出せなくて残念ですが、私にとっては相変わらずの韋駄天アイドルで有り続けます。
この時期になると、首相が靖国神社に参拝するかどうかが注目されますが、いわゆる東京裁判(極東国際軍事裁判)でA級戦犯(平和に対する罪)が合祀されているからダメだという理屈のようです。一方、保守派は御国のために命を捧げられた英霊に対して国を挙げて尊崇の念を捧げるのは当然だという主張です。今は亡き私の父親の考え方は少し違っていました。靖国神社へのお参りにこだわることなく、そんなことより戦友会に夫婦で出席して生き残った戦友達と盃を交わすなかで、無念の戦病死(マラリア・アミーバー赤痢・コレラ等々)を遂げた戦友たちを思い起こし供養とすることのほうが重要で優先事項だったような気がします。敗走(転進)途中で飢えと病魔に犯され歩けなくなくなった兵士は道を外れた藪の中に這いずって分け入り、手榴弾のピンを抜きレバーを外しお腹に抱えるようにして自爆死を図りました。父親からずれば戦友たちの無念の死は人ごとではなく、自分であっても全くおかしくない死であり、この死は御国のために天皇陛下のため捧げられたものかと言うと必ずしもそうではないのであって、食料も弾薬も薬も一切の補給が断れた状態で戦火を交えることもなく行軍を命令されガリガリに痩せ細って最期は自爆した無駄な死であったのです。道脇で動けなくなった多くの兵士達は通り過ぎて行く行軍の兵士に手榴弾をくれと哀願したそうです。頼まれた兵士も自決用に必要なので黙って過ぎ去りました。こんな死に様を強いた帝国陸軍(皇軍)と戦後の政府筋から英霊として靖国(民間)に祀られても腑に落ちないだろうと思います。日本得意の”褒め殺し”みたいな扱いとも思えてきます。勇猛果敢に闘うための武器も食料も水も与えられず、ただただ転進という野垂れ死の敗走(白骨街道)をさせられて何が”英霊”だと!!馬鹿にするなと。
父親はインパール作戦に九州の菊兵団(第18師団)の所属(砲兵)で支那戦線から転戦し、運良く最後まで生き残り(9万人近く参戦し3万人程度しか帰還できなかった)最後はおそらくラングーンのコカイン収容所で二年近く捕虜(POW=Prisoner of War)として強制労働させられました。常々口にしていたのは、”補給なきインパール作戦”を立案実行したかの牟田口廉也(むたぐちれんや)中将に対する恨みでした。帝国陸軍は階級が上に行けば行くほどバカボンが多いと聞いています。戦後70年以上経った日本の官僚や大企業と言われる組織も基本は戦中とさして変わらないというところでしょう。敗戦後はこのような無責任な組織のあり方がGHQのWGIP=War Guilt Information Program)の後押しを受けて、左巻きやら在日韓国人が教育・企業・マスコミ・法曹・外務省を始めとする役所等の組織の隙間にシラミのごとくびっしりと入り込み反日工作を(日本乗っ取り)を進めて来たのがこの71年だったのでしょう。
今は先の大東亜戦争でお亡くなりになった大勢の兵士の鎮魂と自分自身の今後の生き方の検証のために残された多くの戦記(一般兵士によって書かれた戦争体験記)を読んでいます。取り分け、ビルマ戦線・ニューギニア・フィリッピンそれに硫黄島(いおうとう)が中心となりますが壮絶過ぎます。先人のご苦労は決して共有出来ないにしても、理解して感謝をいたさねばなりません。今の過食とグルメの時代に、溢れかえる食品とペットボトル入の豊富な水は彼ら飢えと乾きで行き倒れた兵士達に元はと言えば”分け与えられていた”もしくは”彼らが食すべき食べ物、飲むべき水だった”ものであり、後世の我々はそのことも知らず、飢えで亡くなって逝った彼ら兵士達の命の糧を現代の飽食の輩(やから)が感謝もなく貪(むさぼ)っているのではないかと考えています。猛省と深謝を。         

あづま運動公園 バラ園内の宙に浮く金バラ

千輪菊、一本の苗から2千輪の花を咲かせる

IOTへの前哨戦

平成28年1月13日

新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
2016年の8月で創業29年目を迎えます。何事もそうですが、同じ事を飽きることなく10年もやれば世間ではそれなりのプロとなれるように思います。
センサーという分野自体がある種、特殊だと思いますが、さらに超音波センサーとなりますと極めてニッチで特殊と言わざるを得ないでしょう。
しかもこの30年近く、日々、家庭・家族を差し置いて(無視して)超音波に関わることばかり考えて来たともなればもはや狂人の域であり決して普通じゃあないと自分でも呆れてしまいます。また一方、それにしては大した吃驚(びっくり)するほどの製品はないではないかと言われれば返す言葉もありません。情けない話です。
我々の製造規模と仕事のやり方は、例えれば福島 田村の三春駒(みはるごま)と一緒で、決してグローバルではなく、また、ISOとか金融のBISとか言われる国際基準とか国際標準に則(のっと)っていない地方色ぷんぷんの職人臭ささが良さなのだと最近では胸を張って言えるようになりました。ちゃんとした良いものを作って世の中の役に立つのだという心は単に数字や指標だけで醸成できるものではありません。
かって世界の工場と言われた支那(中国)のメイドインチャイナ品がいくらISO規格やらUL/CE規格クリアーであれ今ひとつ買う気になれないのは、創り主の根性が卑しいからだと思います。ごまかしであれなんであれちょっとでも儲かりゃあ善いのだというあの100円ショップの発想だからでしょう。
日本のモノづくり家電大手である東芝・パナソニック・ソニー・シャープ等々が軒並み青色吐息となってしまったのも”魂入れず”が祟ったためだと思います。まやかしの国際標準に惑わされ、響きの良い国際化たらグローバル化という言葉に騙され地獄に引きずり込まれたというところでしょう。
今年はさらに物作りの真髄を極めるべく試行錯誤を繰り返しながら”なるほど”と賞賛されるような製品づくりを目指していきます。

もうじき真っ赤な林檎になるべえ


Others 何でも言ってみよう

日本人は穏やかで自己主張をしない、問題が起こっても、なるべく穏便に済まそうとする民族性は確かにありますが基本的な思考能力・忍耐力・勤勉さそれに闘争能力(武力と闘争心)等々においてはどの国と比べても劣るものでは決してありません。
大きな問題の一つは、意思伝達能力つまり英語伝達能力の手の施しようが無い程の欠如だと思うところです。文化的な背景として”恥の文化”があり、チャラチャラと自分本位でまくし立てるのは下品でみっともないという遺伝的背景がそれであります。それにしても、アイノウ、アイノウ、オフコース、オフコース、ユーノウ、ユーノウを繰り返すばかりのよい歳をしたオヤジと対峙する外国人からすれば、日本人の精神年齢はなんと低いのだろう、まるで幼児のようだと思われても仕方ないほど、英語による意思伝達能力の無さにはあきれ果てます。墨絵の世界のファジーな日本文化を説明できなくても、せめてイロジカルな日本文化をロジカルな欧米言語で堂々と主張し切る語学力は身につけないと生き残れないと断言できます。英語教育を小学校から始めようというようなことではなく、異文化・異邦人という壁の突破力であります。日本の力の源泉は創造力に富んだ微細なモノづくりにあります。政治的な外交交渉でもそうですが、素晴らしいメイドインジャパンを世界に拡散するためにも、突破力を持ち合わせた語学能力と交渉力でフロントを切り拓くことが要諦でありましょう。
今回の旅行で深く感じ入ったことは、日本の影響力の絶望的な後退と、貧しいながらも仏教国として笑を浮かべながら一生懸命生きておられるタイの人々であります。胸の前で両手を合わせてにこやかにありがとうと優しく言葉をかけてくれる人々には、日本人として深く共感と感動を呼び起こすものでした。

追記:衆議院は本日解散で10月22日投票のようで、あの臭い(鼻につく)小池のオバはんの希望の党が相当数議席を確保しそうな勢いであります。具体的な安全保障・経済・エネルギー政策には言及せず、右から左まで耳障りの良い抽象表現で誤魔化しています。この動きは日本大嫌いの左翼リベラルを任ずるマスゴミと一体となって出現させたかっての民主党トンデモ政権を彷彿とさせます。”寛容な改革保守”とは何ぞや?そもそも改革と保守は対立する概念であります。何であれ数(クズ)集めて権力トップに立ちたいというだけ。簡単に”リセット”できない”しがらみ”だらけの利害関係をほぐすのが政治の役割であります。何らの仕事もぜず、しがらみのない権力志向だけの臭いウンコオバはんには、同類の臭い匂いの好きなゾンビ虫が続々と集結しているようです。情けない。この劇場型政治を得意とする小泉・小池型ポピュリズムが勝つか、冷徹な日本国民が勝つかの関が原であります。日本踏ん張れ。

無線発信

この小さなユニットはヘルメットバイブレーターで
無線で発信された出力を左側のφ20大の受信基板で
受けて基板の下にある極小モーターを回して振動
させています。右側の四角形はバッテリーです。
単純にこのユニットをヘルメットに装着するだけで
警報振動がリアルに伝わってきます。
見通し100mで
技適取得済み。

船大工さんが作った木製自転車

典型的なクラッシック自転車

平成29年4月23日
国際情勢がかなりきな臭くなって来ました。北朝鮮・中国とロシアそれにトランプアメリカが微妙に絡んでまさに一触即発かと思わせる状況が続いています。世界的にはイギリスのEU離脱に見られる(Brexit:ブレグジット)グローバリズムvs.民族主義という対立軸が背景にありますが、日本の場合は、本質的には中韓からの直接、間接的な侵略であると考えるべきと思います。取り分け中韓の工作員(在日・朝鮮帰化人を含む)が周到に手を打ってきた日本の各分野への浸透、それは左巻き日弁連に代表される法曹界、あちら系が力を持つ実業界、捏造朝日新聞や中華代弁のNHKに代表されるマスゴミ・朝鮮が牛耳る芸能界、護憲と平和と人権の大学や日教組の教育界、医療分野から外務省を始めとする国と地方自治体のお役所と隅々まで行き渡っていてもはや救いようが無い段階にまで来てしまっているようにも思われます。在日や朝鮮帰国人達も、現在欧州で問題となっている”不法難民”であり、日本に70年以上も居すわり悪さをし続けています。在日の問題も不法難民が居住国に対する愛国心の欠片もなく、自分たちの権利拡大のみを図る構図と一緒であります。内部からじわじわと侵食されて弱体化した日本が果たしてこの状況を克服できるのだろうか?
憲法の前文の”平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した。”がなんと虚しく聞こえるのだろうか?ましてや、第九条の第二項”陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。”なんでこれが平和憲法と呼ばれるのか?東亜三国に”どうぞ、好きなように食い尽くしてくれ”と宣言しているのである。本当の日本国民であれば、即時、現行憲法を廃棄して独立国としての軍事力をしっかりと保持する新憲法を制定するのが理に叶うと言うものである。
本日は近所の自衛隊郡山駐屯地の創立64周年記念日であります。多くの近隣の老若男女と子供達が目を輝かせながら自衛隊構内を散策していました。まだ大丈夫かなあと微かな期待を抱いた半日でした。

フレンチレストラン風の餃子の”照井”さん

郡山市立美術館の紅葉

平成28年11月06日
季節は突然代わり、急に寒くなり、しっかりと秋がやってきた。夏も悪くないが、秋もなかなかのものである。二本松市の菊人形展では、一本立て厚物系の”大菊”やら、1本の苗から二千輪もの菊を咲かせる”千輪作り”等々が霞ヶ城内で見られます。会津の鶴ヶ城もそうですが霞ヶ城は戊辰戦争で落城し昭和57年に箕輪門が再建されました。戊辰戦争に出陣した12歳から17歳の少年で構成された部隊(二本松少年隊)の悲話が残っています。

福島市のあづま総合運動公園では、銀杏並木やバラの花が金色に輝いています。公式認定の陸上トラックをその気になればオリンピック選手気取りで周回できます。トランペットの練習も迷惑がかからず良い場所です。お腹がすけば、スーパーイオンの裏側にある円盤ギョーザで有名な”照井”に行きましょう。行列待ち時間、30分から40分は覚悟してください


平成28年1月29
先月の12月から今月にかけては年末年始ということは別として結構忙しく過ごしました。12月の半ばには久しく会えなかった大学時代の友人で佐賀県庁を勤め上げた友人のミニコンサートがあるというので博多から鹿児島本線に乗って筑前町まで行って来ました。
ジャズのバンドで彼はベース、他にドイツへサッカー留学をしたドラム担当のIさんとピアノと女性ボーカルという構成ですが、いづれのメンバーも前期高齢者近辺の人達です。ジャズのスタンダードナンバーを演奏させるとぴったり馴染んでなんとも言えぬ”よか”空間が醸し出されます。"You'd Be So Nice To Come Home To"などはそこらそん所の若輩では決して歌えません。ボーカルの彼女は雰囲気といい、表情といい、歌唱力といいすんばらしいオーラを放ちっぱなしです。横で座って演奏しているおっさんが私の友人O氏です。

発信部を含む小型基板

平成28年1月22日
この冬始めての本格的な雪が18日に降り、今日あたりも路肩に除雪された雪が残っているという状況です。もともと広島生まれで玄海育ちで雪と寒さは苦手であります。子供の頃は静まりかえった早朝に寒さで目が覚めて、そっと障子を開けるとびっしりとまわりが真っ白な雪で埋め尽くされた情景を思い浮かべます。この世が清浄な雪で浄化され、汚れた雑音(雑念)を吸収して現世に仮そめの極楽浄土を見せてくれました。子供心にも神聖でわくわく感に満たされたひと時でした。

秋を代表する味覚は何といっても柿であろう。福島では会津の”身知らず柿”が有名で毎年皇室にも献上されております。もともとは渋柿で、これに焼酎をぶっかけて何日かすると脱渋(だつじゅう)され甘く美味しくなります。
弊社でもこの季節になりますと、近くのJAで渋柿を買ってきて(1袋24~25個入りで\700)皮をむき軒先に干します。かって、柿右衛門が柿の色を焼き物で出そうとして相当な苦労をしたそうだが、天然の柿色は自然の神の手のみがなせるミラクル色と思います。

本格的に超音波センサの拡販を始めた15年~16年前に安定的な需要が見込まれたゴルフカート用の障害物センサーとして採用されたことが深く超音波へのめり込むきっかけになりました。その後、超音波の用途が徐々に拡大してきて高速道路のパーキングの出入り口に設置される逆走行防止用の長距離センサー(車検知)や、様々な用途の鉄道車両検知用の超音波センサへと極めて多岐にわたる用途が増えてきました。
一時期、工場内運搬用リフトへの応用事例も一気に増大しましたが、今は安定需要期に入ったようにも思えます。最近では高所から出たり入ったりするトラックを検知する長距離用の超音波センサが一般トラックヤードや清掃工場で使用されるケースが増えてきているように思われます。今年あたりからは、都市部のインフラ整備の必要性と安全性の向上に押されて鉄道関連の需要、とりわけホームドア絡みに期待するところが大きいようです。
超音波センサに対する需要が多様化する中、耐環境性能とともにIOTとの親和性を向上させていかねばと戦略を練っているところであります。乞う、ご期待であります。






二階建て長屋の殺風景な事務所裏側

ロッカーに並べられた第29期までの決算書

一番目を引いた三輪車(トリサイクル)

シャープ インテロス巡回ロボットSV-S500

精密なデジタル発信基板

7月も終わり、つばくろも大きく成長しました。

平成28年3月14日
私は随分前から、青森県五所川原工業高校機械科出身の福士加代子選手が大好きで、彼女の試合がTV放映されるたびに必ず観戦し応援し、できるだけビデオに取るようにもしています。もう、十年以上にもなると思います。間違えて、会社がでっかくなれば、福士加代子選手のスポンサーにもなりたいと本気で考えています。かって、かのオムロンがF1のスポンサーにだったように記憶していますが、規模ははるかに小さいが、同じような業種でもあり可能性は十分にあると思っています。
衝撃的なレースは8年前の大阪国際女子マラソンでの30Km過ぎでの失速とゴール前の4回の転倒を繰り返しながらも、体育会系の精神主義的な必死の形相で頑張る姿ではなく笑顔で最後まで走り続けたシーンである。ファンとしては耐え難いシーンでしたが、果たしてここまでやりきれる人が男女を問わずいるだろうか?ボロボロになりながらも最後までゴールを目指す、このプロ精神はとんでもなく見上げたものであります。
彼女を好きななった動機は、あるレースで髪を輪ゴムでちょんまげのように結わえて、ひょうひょうと走っている姿格好を見て、これはただものではないと感じてからです。あの大きい口と下がり目の素晴らしい笑顔は日本に福士ありと誇れる稀有なアスリートであります。
それで、13日(日)にフジテレビで午前9時からリオ五輪女子最終選考レースの名古屋ウィメンズマラソン2016が中継されました。このレースで福士の大阪国際での優勝記録2時間22分17秒を上回る選手が現れれば福士のリオ五輪出場は叶わなくなります。そのため、福士はこの大会に再度、一般参加して代表決定を不動のものとする覚悟でした。陸連というネクタイをした元スポーツマン?の腰抜けどもに対して一矢を報いる決断でした。結局、陸連の麻場強化委員長の実質、陸連の面子を守りたいという要請で欠場しました。
問題はTV中継のコメンテイターを始め、番組全体の異様な”反福士”的なムードでした。取り分け酷かったのが瀬古利彦と有森裕子だった。ともに今まで日本のマラソンを引っ張ってきて、現役時代も素晴らしい実績を残した人達です。
フジTVと陸連がどう繋がっているのか不明だが、それなりの利権(放映権が絡む陸連との癒着か?)を守るため、確固とした安定収入のない彼ら
有名人をも巻き込んで、陸連・フジTVとその利害者にとって、あまり都合の良くない明けっ広げでイケイケの”福士無視・蔑み”の作戦に出たように感じました。
レースが30Kmあたりになると”日本人グループで陸連の設定記録22分30秒を上回って21分台も出ますよ”と有森なんぞは断定的に解説。瀬古も同調して、福士の記録などはこの大会で簡単にクリアーされるかごとくに迷解説をしていました。結果は頑張って優勝された田中里美さんは福士のタイムより1分02秒遅れのものでした。何とかこの大会の参加者を持ち上げ、福士を無視するという作戦だったのでしょう。放送の最後に、リオ五輪の内定者に田中さんと共に福士がほぼ確定で良かったねというたった一言のコメントさえありません。
もうひとつ気に食わないのは、マラソンの名解説者として定評のある増田明美さんを外して有森を起用した点です。増田氏は福士のサポーターであり熱烈なファンであり、陸連の批判者だからでしょう。かって韓流を煽ったフジTVの汚いやり口です。自分たちの利権を守りたいという気持ちは理解できるが、公平性を求められるTVであからさまにやりすぎとあきれ果てます。今は時代がすっかり変わって、”報道しない自由”もなくなりつつあるのですがね。どうも、今回のような幼稚で視聴者を舐めたTV局のやり口は本当にムカつきます。
大きな問題はこれがスポーツ界にとどまらず、あらゆる分野で堂々と行われている点です。スポーツ界ではかってTBSがボクシング放送であの品のない亀田どもを必死に持ち上げ八百長をも厭わず強引にプロデュースした件がありますが極めて分かり易いやらせと言えます。これが経済・政治(とりわけ在日絡み)となると巧妙に世論誘導をしてきますのでなかなか油断ができません。公共放送はやはり放送法に則り、公平性を期して、思惑を排した事実に則ったものでなくてはなりません。

平成28年3月07日
苦境に立たされたシャープが台湾のホンハイ精密工業傘下で再建を図ることになりそうです。なんで伝統的な日本の企業が台湾、いや支那に身を売らなければならぬのか腑に落ちません。基本的な疑問点が二つあります。何故、政府系ファンドの産業革新機構ではなく、中国系のホンハイに決めたのかという点と苦境に導いた高橋社長を筆頭とする経営陣を退陣させることなくそのまま舵取りさせるのかという点です。
まず、経営陣トップの高橋社長以下の責任が問われるべきです。たらたらとお人好しにもかのサムソンに液晶技術を盗まれるまま何らの手を打つことなく放置して、苦境に追い込まれ会社が左前になると社員を数千人単位でリストラして自分たちは厚かましく残留。会社の膿を出すだと。膿はおのれらだ。今回のホンハイとの交渉でも経営陣の温存を恥知らずにも条件としている。スジから言うと、まず経営トップが責任を取って過去受領した賞与すべて返却の上、総退陣すべきでリストラはその後の話でしょう。産業革新機構も其のあたりの経営の不甲斐なさを見越して増額融資をためらったのであれば納得も行きますが、一旦行き詰った私企業を再生する力量と才覚と度胸がなかったのではないかと思うところでもあります。かって産業再生機構が手がけたDRAMメーカーのエルピータメモリーも会社更生法申請(倒産)で結局、米国のマイクロンテクノロジーの傘下となりました。その当時の政府(民主党)に日本の国益を何が何でも守り抜くという気概があったなら、このような結果にはならなかったと思う。アップルからのたっての要請があったにもかかわらずだ。愚鈍でズル賢いサラリーマン社長の高橋であれ、当てにならぬ国策会社の産業革新機構のいい加減さを肌で感じていたのだろう。今となれば、どれだけ守るべき”日本発の技術”がシャープにあったのかも疑問ではあるが。
ソニー・シャープ・東芝・パナソニック等の家電業界に限らず、日本のいわゆる東証一部上場の一流大企業と呼ばれる企業群は本当に大丈夫なのかという疑念を抱かざるを得ません。とりわけグローバル化が顕著になってきた昨今、本当に肉食狩猟民族のアングロサクソンやウォールストリートを徘徊するユダヤ金融資本さらに、ひたすら拝金主義だけの狡猾な中韓を相手に闘う戦術・戦略、さらに知的タフさや戦闘能力が備わっているのかと不安にもなります。
マーケティングにおいても技術開発においても、大企業のサラリーマン経営者たちは自己保身最優先のためか、なにかにつけ臆病風に吹かれ腹の据わった迅速な決断が苦手なようです。手をこまねいて先送りしている間に敵にやられてしまうという間抜けなパターンを繰り返しています。最近のマンションの不正杭打ち問題でも、こそこそと隠れて行ってきた姑息な不正が暴かれると所在なさげに一列に並んで頭を下げ、見たくもないみすぼらしいハゲ頭をTVカメラに晒しています。事あるごとに同じパターンの見え透いた愚かな儀式を繰り返し続ける”責任逃れの腰抜けども”です。
インターネット・アイホーンがそうであったように、社会のパラダイムを根底から変え、常識を突き抜ける技術革新は大企業・大組織の小賢しいソリューション事業部や整合性の採れた合理的な発想からは決して生まれ出ることはないだろうと断言できます。大企業はひたすら陳腐化の道を辿り挙句の果て消滅していく恐竜のように思えます。東証一部上場の大企業さんよ、日本を代表する顔として”矜持を待って堂々と行動”されますように。



黄金色の夕暮れ

平成29年8月25日
昨夕、弊社事務所の上空に突如現れたる不気味ながらも美しいクラウド。細やかなうろこ雲の下で身体をうねらせながらのたうち回る龍のごとし。吉と出るか凶と出るのか。このところの緊張感高まる国際情勢と不安定な天候がなせる技なのか。

この三輪車は極めてユニークです。普通は今の三輪車がそうであるようにセンター前に前輪があって2本の後輪で支えるというパターンですが、前輪後輪があって、倒れないように真ん中に大きな1輪を並列に置き、しかも間にチェアを据え付ける、発想がユニーク過ぎてひっくり返る程です。シンメトリックでは無く、バランス的には決して良くはないのだが何故か惹かれるものがあります。街中を自慢げにゆったりと走って見たくなる三輪車です。
そのほか、大きな車輪に小さな後輪のオーディナリータイプや、その木製バージョンと現在、日本の九代目船大工さんが作ったマホガニー自転車などが展示されています。

陸上自衛隊郡山駐屯地創立64周年記念式(PDF)    

テスラモーターズ 自動運転に12個も超音波センサーを搭載!! なんだこれは!!クリックしてみて。

近距離部分は超音波センサーが5個使用されている

(2)そんななかでも、地元のSゴム工業(株)白河工場様(ダンロップのタイヤを製造される)よりゴムシートの巻き上げ工程での巻量測定を行いたいとのお話を工務課さんより頂き、それなりのアナログ出力タイプのセンサーを製作して納入したりしていました。タイヤのゴムは独特の光沢のある黒色で光電センサーでは光が反射されないため検知物体の色に影響されない超音波センサーが採用されたという経緯がありました。光と異なり、拡がりがあるため範囲が広く検知できたり、屋内外でも外乱光(主に太陽光や蛍光灯)に影響されない等々の長所が多々あることに気づかされました。
一方、私の販売地区である体重計を始め計測器を製造している福島市のH衡機工業様(JRA福島競馬場の近くにあった100年を超える老舗企業だったがすでに廃業されました)さんより、身長体重計用の超音波センサーの開発製造依頼を受けました。最大の難関はどのような髪型の人であれ、音波は髪を素通りして頭皮にあたり返ってこ髪型のなければならない点です。塩沢ときや黒柳徹子のような大盛りの髪型の人や、バーコード状態のおっさんそれにパンチパーマのヤクザさん(パンチは音波が通過し易く安定計測です)と多様なヘアスタイルに対応する周波数でなければなりません。もうひとつ解決しなければならない点は2mちょっとの高さから下方をにらみますが、子供から2m近い長身の大人まで、結構、測定距離(ストローク)のバラつきがあります。これを解決するためにAGC(Automatic Gain Control)を付加して、遠距離(背の低い子供)だと感度を強くして、近距離だと感度を自動的に落として適正に測定をする方法を完成させました。
他でも、スバルやヤマハさんから農薬散布用ヘリコプターの高度測定用に問合せ(今ではドローンか)があったりで、少しづつ超音波センサの売上比率が増え始めてきました。

(3)極め付きは日本最大の鉄道会社様の東日本管轄で使用されている在来線の保線車輌(プレッサー&トイラー)の後端に、バラストの整地具合を測定する小型アナログ超音波センサー4個を保守車両全てに取り付けたことだと言えます。鉄道会社さんには北海道(トンネル)東海(新幹線)でもその後、お仕事を頂いていますが、とりわけ積雪の厳しい東北地方でポイント切り替え部分に溜まった雪を排除するために、事前に通過列車を超音波センサで検知する事例で、この十数年で?百個以上のセンサーを継続して使用いただき、ほとんど不具合ゼロという記録を達成(勝手に自慢する)しています。何よりも不具合が厳しい環境下で十数年ゼロは職人冥利に尽きます。北海道ではかっての石勝線でのトンネル火災を契機にトンネル内事故の際、乗客が逃避しやすいように電車がトンネル内にある場合は”照明ON”、電車が抜けると”照明OFF"というようなシステムに弊社センサーが北海道のすべてのトンネルに設置されました。
他にも、踏切での尻抜け検知(H社)、フラットフォームの自動ドア(T社大井町駅)等々事例に事欠きません。
これらがきっかけで、鉄道(旧国鉄・東京メトロ・私鉄各社様)を始め高速道路(N各社本四高速道路様でのETC車輌検知と高速道路では全国100箇所での逆走検知が主要な事例です)・空港駐車場(中部国際空港)・清掃工場(多摩清掃工場・練馬・三鷹等の都内から全国津々浦々でパッカー車の車在検知)・ダム現場(湯西川ダムや八ッ場ダムを始め全国のダムでのバケット高さ制御)などのインフラ関連に継続して採用されることが多くなり、センサーの種類(周波数別ですと25KHZ・40K・75K・120K・200K・300Kで新たに50KHZも検討中)も増やすことが可能となりました。

三輪駅線路風景

大神(おおみわ)神社のこの大鳥居はJR”まほろば線の三輪駅のすぐ手前から車窓を通して見られます。三輪山(写真左上)を本殿とする最も古い様式の神社です。
まほろば線には”京終(きょうばて)”とか”帯解(おびとけ)”とか面白くてセクシーな駅名があります。情緒たっぷりだ。

右の写真でサプライズ出演でピアノを演奏されている方は、かって山下洋輔さんや菊池雅章さん両氏を師匠と仰ぎ、越路吹雪さんのピアノ伴奏をされていて現在は女子短期大学の教授のMさんです。
突然の脳梗塞で半身不随となり華やかな一線の舞台からやむなく降板せざるを得ない苦難を経験されています。現在は懸命なリハビリの甲斐があって右手だけで弾けるようになられたそうです。すべての面でどん底にあってたいへん辛い体験を笑みを浮かべながらゆっくりとお話いただきました。何でもありの過酷な人生ではありますが困難の中にあって始めて学べることがあり、この学びこそが、最後に残るものなんだろうと思いました。もちろん、素晴らしい演奏で大感激でした。

塔の岳より霊峰富士山を臨む(平成28年1月02日撮影

(5)その後、福島第一原発事故の際には水素爆発後の放射線の拡散を防ぐ為に現場を壁と屋根とで遠隔クレーンを使って囲うに際して、衝突防止用のセンサーを開発して欲しい旨、依頼が突如ゼネコンのS社様から来ました。国難だと覚悟を決めてご依頼から納入までわずか1ヶ月半という早業です。発電所ですが、電源もないので太陽電池からリチャージヤブル電池付き、赤と黄色のLED回転灯付きでセンサーも込の一体型です。極めてユニークな原発事故現場ならではの超特注品です。曇が7日間続いても動作に支障のないことが条件です。全てうまく動作しました。後日、担当者さんから御礼のメールと写真(右下)を頂きました。二台のご購入ですが損得無視(済みません損はしておりません)で、お国のために始めて役立ったかなあという少しばかりの達成感を頂戴いたしました

その後、鹿児島本線の原田(はるだ)駅まで車で送ってもらい博多まで戻りました。父親は九州男児で八幡製鉄所に養成工として入社して、二十歳前後で徴兵され日本最強の”菊師団(きくしだん)”に入隊しました。最後はインパール作戦で九死に一生を得て、捕虜として収容されました。
私は小学校入学が福岡の中間中央小学校で、父親の地元福岡では小学校2年生まで過ごすことになりました。
その当時は、炭鉱の斜陽化が始まったころでしたが、それなりの活気が十分あったように思います。
全身真っ黒になった鉱夫さんが入る炭鉱風呂で、兄貴の背中めがけてションベンをかけてざまあみろと喜んでいた私ですが、屈強な炭鉱夫のおっさんにこっぴどく叱られた記憶があります。家族みんなで線路(筑豊線)伝いに歩いてただの銭湯に行っていたものです。ボタ山とともに真っ黒の鉱夫の姿が鮮明に記憶に残っています。福岡は私の第二の故郷です。
博多の次の駅が吉塚(よしづか)ですが、ここから歩いて数分のところに浄土真宗本願寺派の西林寺(さいりんじ 開基400年)があります。上の写真のレトロなポンプで水を汲みあげお墓をきれいに洗ってお参りをしました。大正十年に私の祖父が建立したとあります。95年前に同じ寺のあの場所におじいさんも立ったかと思うと感極まります。福岡近辺で電車からホームに降り立ちますと、空気が身体の細胞まで何らの違和感もなくすっーと入ってきます。遺伝子レベルで九州のこの地の空気を受け入れているように感じています。先祖代々の皆さんが生きて来た土地なのからでしょうか。

二本松菊人形の見もの千菊だあ


タイ プーケット地区島々の風景

平成29年9月28日

私が30代半ば頃より、台湾・香港(稀に韓国)には延30回以上にわたり電子部品の売り込みに行っていました。主にキャセイパシフィック航空のテーマソング”愛のテーマ”を聴きながら伊丹空港をテイクオフです。”よしやるぞ”という意気込みがこのキャセイソングで更に高揚させられます。是非とも聞いてみて下さい、よっしゃあ!!とやる気が出てきます。顧客との打合せ・売り込にほぼ1週間かけて滞在します。現地の工場の責任者を訪ねて打合せに行きます。事前にテレックスでアポは取っているものの、複雑に入り組んだビルのフロアの一角が工場という独特の立地とライフルを持った門番のインド警備兵をものともせず突き進んでいきます。
電子部品と言うのは、その当時はまだ珍しかった電卓用と時計用の単結晶の太陽電池です。電卓用と時計用のICは東芝製で年を追うごとにICの消費電流が小さくなり、それに伴い、太陽電池も小型となりコスト低減していきました。東芝の現地事務所とも緊密な連絡を取り、売り込みをかけていきます。Love is a many sprendored things(旅愁)と愛のテーマをバックグランドミュージックとして、アジア一体にメイドインジャパンを押し込んでいたという実感がありありと思い出されます。
先週は久しぶり(30年以上か)にこの懐かしのキャセイパシフィックに乗って、タイのリゾート地であるプーケット(Phuket)に旅立ちました。懐かしの香港国際空港(昔の啓徳空港)で2時間のトランジット待ちでの合計10時間以上の空旅でした。残念ながら、バリーホワイトの”愛のテーマ”はもはや離陸時にも着陸時にも流れていませんでした。この音楽を聴かんがために香港経由のキャセイを選んだのに!本当にがっかりでしたが乗り心地と雰囲気は英国エイシアで悪くは無しというところ。
プーケットの飛行場から更に車で約1時間かけて海岸沿いの高台にあるWESTINホテル(ここは津波が来ても大丈夫とのこと・2004年12月スマトラ沖大地震M9.0でタイ南部のプーケット地区は甚大な被害を受ける)に到着。もともとプーケットは欧州からの観光客が多いようですが、ホテルや周辺の観光地・空港は90%以上が周囲の迷惑も顧みない大声の中国人だらけといったところ。30年ちょっと前、私が国際営業マンとして活躍していた頃はまさに日本の絶頂期で、”エコノミックアニマル”と蔑まれながらも、メイドインジャパンが世界を、とりわけ東南アジアを完全に席巻していました。田舎モンのメガネをかけた農協のおっさんまでが肩にニコンやキャノンのカメラをぶら下げ国外に出かけていき、フィリピン・台湾・韓国などで女を買い漁っていました。普段日本では決してモテないおっさんも帰りの飛行場のロビ-で顔を輝かせて昨夜の女の自慢話をしていた様子が思い出されます。良い悪いの話ではなく、庶民レベルまでエネルギーに溢れた活気のある時代でありました。
ツアー(HIS)で一緒だった数名の日本人の方々はどなたも穏やかで行儀もよく大声を張り上げることもなく静かに過ごされておりました。添乗員やホテル従業員の言うこともちゃんと聞き、言われたことはちゃんと守る、当たり前のことですが中韓の人では有り得ない従順さです。

さらには、福島県と福井県(同じ原発立地or依存県か)のコラボとしてエウレカ株式会社様(旧 福井小松フォークリフト株式会社)とフォークリフトと建設機械用の超音波式障害物センサーの販売代理契約を締結しました。小松リフト様は弊社超音波センサーを始めてオプショナル純粋パーツとして認定していただき多数の装着を奨めていただいております。屋外一般無人搬送車や各種ロボット(SM・ALSOC)にも多用されてきておりますが、今後、最も見込まれるのは無人運転に伴う、近距離部分での超音波センサの活用・展開であります。テスラモーターズでも遠距離部分は流行りのミリ波レーダーを使用するようですが、微細な近距離部分は前後に合計12個の超音波センサーを検討しています。いよいよ、超音波センサーの時代が遅まきながらやって来たのか。今後は性能アップとコストダウンがキーとなりますが、弊社こそはそれらを実現できる最も近いフロントにいるので、間もなく、テスラさんから要請されるのではないかと”夢想”しております。英語なら任せといてください、英検1級と通訳案内業試験なら40年以上前にも合格しているからね(もう古くて使えないですと)。
近々、びっくり仰天ニュースをお届けできるよう乞うご期待。

無線受信

ヘルメットに装着状態、しっかりと無配線で動作


見通し100mの安定した通信距離

従来センサーと無線ユニットとの合体

美術館入口の展示ポスター

近くに自生する山ユリ

平成29年7月29日

七月の終わりともなると、一昨日までの凄まじい暑さや豪雨は一息ついて、少しは凌ぎ易くなったような気がします。この半年近く、国会では朝日新聞(チョウセン日報とも言われる)毎日変態新聞や東京新聞のロークオリティイPapersのみならず、在日韓国に乗っ取られたTBS/NHK/フジTV等々とタックルを組み、安倍内閣打倒を目指し大奮闘でありました。マスゴミ総動員で、あることないこと満載の大アジテーションキャンペーンでした。正義感ぶった人権派気取りでヒステリックにわめき散らす左翼連中を見ていると”カスどもめ”とうんざりしてしまいます。僕たちは国の枠に囚われないリベラルなグローバリストだと。見事に内閣支持率は急落しましたが、安倍内閣に替わってどなたがまともに政権運営が出来るというのか。見境もなく、我が身の不甲斐なさの鬱憤を晴らすように、批判を繰り返してカタルシスとしている我が日本国民も本当に情けない。少し冷静に考えれば、今何を論議してどのように準備しなければならぬかは自ずとわかるはずである。ここまで、日本国民も劣化すればますます在日工作員のやりたい放題であろう。事ここに至りて、何がモリカケ問題だ、問題はでっち上げ報道(捏造)・偏向報道をするTV局とアジビラ化して報道しない自由を謳歌している三文新聞を叩きのめすことでしょう。

先週は郡山市美術館にふらりと立ち寄りました。たまたま新しい企画展”自転車の世紀”の初日でありました。ふらりと立ち寄れるのは60歳以上は無料入場できるからでもあります。有難いことです。


クラッシック木製自転車

カーゴ自転車(外国製)

一昨日の4月22日から郡山市立美術館でリカちゃん展が開催されました。早速、午後一番に三菱の赤いジープで郡山駅裏の美術館通りを走り見に行きました。変にアーティスチックな雰囲気のある通常の展示会とは異なり、単純に可愛いとか面白いとかが感じられて価値ある午後でした。唯一、気に入らないのはリカちゃんの本名が”香山リカ”でこの名前を称している赤く狂った精神科医(在日っぽい)が通名でこの名前を使っている点である。困ったものである。日本の少女が汚されている気がしてしまうのは何故なのでしょうか?

十四代酒井田柿右衛門作 香炉

安達太良の水系、日本の原風景

あづま運動公園の銀杏並木と陸上トラック

一本立て厚物系大輪菊だあ

11月05日から郡山市立美術館の企画展示で”MOA美術館(静岡県熱海市)の名品展が開催されておりたまたま気晴らしで行ってみました。この日は初日ということか、学芸員の方が展示館に来て下さり、展示品を一つ一つ丁寧に説明してくれるギャラリートークがたまたま午後2時から開催され、偶然にも私も参加できることとなりました。
展示会場には30~40名の入場者が待機しており、全員が立ったまま、ぞろぞろと学芸員のとともに
移動しながら展示品の前で説明を受けるという形です。
中国から入った茶も日本に来れば豪華絢爛の道具も、侘び茶へと洗練され様相が一変して手捏ねの楽茶碗へと変容する。秀吉や利休が実際に使用したという茶杓(ちゃしゃく)や茶入も説明を聞くと感服します。
絵巻物では岩佐又兵衛の”山中常磐物語絵巻”の一部(全12巻で広げた長さは150mにもなる)が展示されていましたが、文字と絵(段という)の素晴らしさはえも言われぬ程である。賊に殺された母の仇を打つ牛若丸の御伽草子です。文字も絵もああ日本はなんと優れた文化を育んできたのだろうと感激します。

二本松市霞ヶ城菊人形展でのしだれ菊(平成28年10月30日撮影)  
と京都のひなや五条で発見した東北のこけし達(鳴子ほか)
  

展望台の柿の木

参道入口から左脇に入った三輪素麺のお店

鎮魂の白薔薇

兵士の書いた戦争体験記

奈良県桜井市の三輪明神大神神社

日本を代表するアスリート福士加代子選手

OM5超音波センサ+フィルターホーンOM-FH1+保護カバーOM-H         三次元組立図、クリックして遊ぼう!!
3D

佐賀県嬉野温泉にある豊玉姫神社の鳥居。
神社の境内はいつも気持ちのいいもんだ

       

UFOが飛んでいる?

平成29年8月18日
長雨続きの鬱陶しかったお盆も、昨日の送り火で明けました。毎年、京都で大文字の送り火を兄妹で見てからそれぞれの持ち場へと帰り、後半戦を生き抜くというのが恒例でありました。今年は9月に父親の13回忌を”いとこ会”を兼ねて行うため、見送りとしました。13回忌を父親の1年後に亡くなった母親の法事とかねて行いますが、一番の供養となることは縁者が一同に集まって飲み食い大騒ぎしながら、亡き両親の思い出話を語り合うことだと思いますので、なかなか良い最後の企画だと思うところであります。

(1)今月8月は会社を始めてちょうど30年目(決算期で言うと第30期)になります。38歳で京都の竹中電子工業(老舗の光電センサーメーカー)様の東北地区総代理店(宮城・福島・山形の三県)として発足しました。その当時(今もそうですが)、歩合給という餌を大きなモーティベーションとして飛躍的に売上を伸ばしていたK社(その当時はリード電機と呼ばれていた)の対抗策として資本金300万円で設立されました。その当時、私は東京の光電子部品メーカーの営業部長をやっておりましたが、たまたま、田舎で仕事をやりたいという私の願望を満たすかのように、東北で販売会社を立ち上げて欲しいとの要請が竹中から有り、それに乗った形で映えある”オーミック電子株式会社”が誕生したということであります。何がK社に対する対抗策かといえば、私が売れば売るほど稼ぎ(報酬)もエンドレに増やせるというところが味噌なんです。”バカモン、そんなに簡単に売上があがるかい、コラー!!”という本音はさて置き、営業所が東北になかった頃よりは最大2倍近くの売上高となりましたが、そこまでが精一杯でした。ランチェスター戦略で言う弱者の戦いその一”接近戦”で挑むも、相対的に安価設定だった竹中の製品を何とか買ってもらうのが限度、先行メーカーたるO社やK社とは一味違う商品が続かないと消耗戦に終わってしまいます。補給無き無謀なインパール作戦みたいなものです。
竹中のファイバーセンサのアンプとファイバーを評価用に貸して欲しいと電話が入る、郡山の工業団地にある日立系の工場からである。サンプルの評価がOKならば最低10個以上の購入が期待できると勇んで、生産技術部の担当者に本社から取り寄せた物を持参します。2-3週間後、評価結果を聞くと使えるとの有難い返事です。そのままサンプルを買い取るので伝票を起こして良いよとのこと。購入はそのサンプルだけでその後の発注も無し、とんでもなく効率の悪い接近戦でした。とは言え、販売するもの(光電スイッチ)があるだけでも有難いと自らを納得させ、毎日、数社工場を巡る日々を過ごしました。営業範囲が広く週末には東京の家に帰ることもあり、最低月々5,000Kmを燃費の安いサニーディーゼルで走っていました。毎月一回はエンジンオイルを入れ替えていた記憶があります。金曜日の週末、13号線で山形に売り込みに行き、そのまま東京多摩の家まで東北道・首都高・中央道と走ると、それだけで500Kmの走行距離となり、身体もすっかり疲れ果ててしまいます。効率は悪いまま、それでも何とか黒字と赤字を毎年交互に繰り返しながら悶々としていたように思います。これでは50歳を過ぎても、カバンにセンサーを入れて疲れた足取りで工場回りをしているのだろうと寒々しい気持ちになったものです(当時のセンサー営業はこれが当たり前で、1個でも購入してもらえば御の字でしょう)。

リカちゃん展開催(郡山市美術館)PDF